Nov
27

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2巻 思い出 

前回、断捨離から13年前に振り返りましたがその続きをまた書かせていただきます。

 

翌日、学校が終わると一目散にマスターの元へ。

 

 

「どうでしたか?電話でましたか?僕、イタリアいけそうですか?」

 

 

「・・・・やっ、連絡先聞き間違ってて繋がらないんだよね。。。」

 

 

とのこと。プラス、名刺ももらっておらず正確にどこで働いてるかも知らないと。あっちの方(東京の方)を指さしているマスター。天国と地獄。とまでは、言い過ぎかもしれないが失望というか力がぬけてしまった。昨夜の高揚感は何処へ・・・。結局その日は、他にバイトをしていたのでそちらに行き心ここに有らず状態で仕事にとりかかることに。なんかなぁ〜どうしようかなぁ〜なんて考えながら数日が過ぎた頃には元の自分に戻り、またマスターのもとで料理修行(掃除)を始める。

 

 

おいしいスパゲッティーが食べれるという楽しみは高校生にとって非常に魅力的であり、すべての原動力になっていました。その日も、賄いを食べ終えマスターの昔話に聞き入っているとおもしろいことを知った。マスターは、もともとサービスマンであること。クレセントという今も芝浦にあるグランメゾンで働いていたとのこと。そしてすごいのは、借金というものを一切せずこのアンジェロというレストランをつくったということ。お店を作るのに、いくらかかるからなんて正直知らなかったのでそこら辺は感動するほどでもなかったのだが・・・。

 

 

そこで「ハングリータイガー」という名前がでてきた。正直イタリアンなんですか?と聞きたくなるような店名。英語だし・・・、お腹空いた虎?ふぅ〜んって気持ちで聞いてたのだが、この店が後に石山圭の料理人スタートの最初のお店となる。20年近くそのお店にいたということもあり幾度となく会話の中に出てくるので僕の頭の中にすーっと、ハングリータイガーという名前は入っていった。よく、料理人の名前を口に出していたのだが当時は、有名なシェフなんて知らなかった。が、何年かしてからそのすごさに圧倒された。いまから見ると少し前、90年代〜2000年代の東京の凄腕のシェフの名前がずらずらと・・・語られていなのだと。

 

 

それこそ、昔はイタリアンレストランといものがそこまでたくさんあるわけでもなく洋食と言ったらフランス料理が主だった時代があった。ただ、その時代にあったイタリアンレストランというのが、飯倉のキャンティさん。六本木のシシリアさん。そして、虎ノ門のハングリータイガーなのだ。知った当時はほんとにすごいっ!としか言い用がなかった。テレビに出てるような人たちがハングリータイガーで仕事をしていたとは・・・とそこに、マスターもいたとは。もうほんとこの時にはマスターの虜。数日前の連絡先聞き間違えた事件なんて全然無効。マスターのもとで学べることは全部学んでやろう!そう、思い立ったのです。

 

 

さてさて、波瀾万丈とまではいかないですがここからいろんなことが始まります。やっ、もしかしたら志した時点からはじまっていたのかもしれません。

 

 

いつものように仕事をしていると、いつもは掃除中にはあまり話しかけて来ないのですがその時に限って

 

 

「今度一緒にハングリータイガー行くか?」

 

 

断る理由などありません。2つ返事で答えました。鉄は早いうちに打てと言わんばかりに来週一緒に行こうと約束。春を迎えようとしている3月の末だったと思います。その日は、3時にお店で待ち合わせし一緒に電車で約1時間かけていくという段取り。で、約束の時間ちょうどくらいにお店にいったところマスターがいない!それも部屋の鍵空いたまま!戸締りくらいしようよ。なんて思いながら物思いにふけっていたが一向に現れる気配も電話もない。その日は、しぶしぶ自宅に帰り明日朝一番で店に行こうと決めひさしぶりのオフを満喫したのであります。

 

 

で、翌朝店に行ってみるといつも通りマスターが雑誌片手にそこにおりました。

 

 

「昨日、時間通りに来たんですがいなかったみたいなので帰っちゃいました」

 

 

「俺が話ししといてやったから来週一人でいって話してこい」

 

 

「あっ・・・・はい。」

 

 

と、一人で行っていたと判明。そして、一人で行って来いとのこと。

 

 

17歳春4月7日だったと思います。

 

 

次回に続く。。。

 

 

 

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